تسجيل الدخول真っ暗な中、一人立っている私……遠くの方で私を呼ぶ声がする。
「久遠さーん……」
誰なんだろう。女性の声だ。
「燈(あかり)さーん」
声が耳元でして目が覚める。視界には白い服を着た知らない女性が居る。
「目が覚めましたか?」
ニッコリと笑ってそう言ったのは、看護師さんだ。私は周囲を見回す。……ここは……病室だ。薬品の匂い、清掃されたばかりの清潔な部屋。良く知っているこの雰囲気。
「気持ちが悪いとか、無いですか?」
そう聞かれて私は自分の体の状態に意識を向ける。
「えぇ、大丈夫です」
そう言うと看護師さんが悲しく微笑む。
「そうですか……良かったです」
その笑みを私は知っている。
(あぁ、そうか……)
私は手を動かし、自分のお腹に触れる。それでも確証が欲しくて聞く。
「あの、赤ちゃん……」
ほんの少し、期待した。もしかしたら、そんな事が起こらないとは言えないからだ。目頭が熱くなっている。鼻の奥がツンとして来る。看護師さんが悲しそうに言う。
「……残念ですが、助かりませんでした」
涙が溢れて来る。……やっぱり、そんな思いに反してそれを受け入れたくない自分が居る。自分が妊娠したと分かった時のあの高揚感、そして自分の中から溢れ出して来る愛情。この世の何よりも愛しく大事にしなくてはいけないという使命感……日々、気を遣い、何事も無いように過ごして来たつもりだった。そして医師である私には分かっている。妊娠初期の流産は母親のせいではないという事を。……特殊な場合を除いては。胸がドキドキして来る。そんな筈は無い。つい数日前の検診でも問題は無かった。数値的にも体調的にも。万全だった筈なのだ。それなのに、そう思いながら体を起こす。
「ダメですよ!寝てないと!」
そう言いながら看護師さんが私を止める。
「大丈夫です……」
涙を拭いてそう言い、私はベッドを出る。まだ麻酔が抜け切っていないのか、フラフラする。
彼らはここに来ている。
私はそう確信していた。ここは聖カトリーナ国際医療センター。この地域では一番大きく、そして何よりも湊がここで働いている。そしてあの愛沢くるみと湊が一緒に居るというのなら、ここしか無いと思ったのだ。
ハッキリさせたい、させなければ。
どうして私があんな言葉を向けられなければならなかったのか。
そしてどうして湊が愛沢くるみと一緒に居たのか。
真実をハッキリさせなければ。
ふらつく足取りで私は聖カトリーナの廊下を歩いた。良く知っている場所、かつては自分もここで仕事していたのだから。急患が入る度にこの廊下を白衣をなびかせて駆け抜け、駆け出しながら看護師たちに指示を飛ばしていたあの頃。すれ違う看護師の中には見知っている顔の人も居た。皆、私の顔を見るなり、ハッとして視線を伏せる。そして私が今、どうしてふらつきながら廊下を歩いているのか、好奇と興味が彼らの気を引いているのが分かる。
辿り着いた先――その扉に掛けられているネームプレートには「久遠 湊」の文字。私の夫だ。扉に手を掛けようとしたその瞬間――
中から聞き覚えのある声が漏れて来た。私は直感的に手を止める。
「……彼女には俺の子を産む資格なんて無い」
くぐもっていたけれど、その声を聞き間違える訳など無い。だって声の主は私の夫、久遠湊のものだから。息を飲む。この先に続く言葉は一体何なのか。
「この子は颯太への供養だ、そして彼女への“罰”でもある」
その言葉が私の頭の中で繰り返され、次第に大きくなっていく。
……罰?
……供養?
体の芯からの震え、その震えが手先へと伝わる。ガタガタと震えながら、その言葉を反芻する。まるで深い水の中へと突き落とされたように体温が下がって行く。
(そうか、そうだったのよね……)
結婚して三年、私が湊へ注いで来た愛情も、尽くして来た努力も、全ては無駄だったのだ。だって彼は私を愛してなんていない。むしろ憎んでいる。
そして失ったものは全て、颯太――森崎颯太への贖罪と供養でしか無いのだと。
内線電話が鳴り、湊がその電話に出る声がする。「あぁ、すぐに行く」そう言う声でハッとした私は彼の部屋の前から逃げるように廊下の反対側へ身を寄せる。湊は勢いよく扉を開け、スタスタと歩いて行く。廊下に居た私の存在など、気付きもしないで。扉はきちんと閉められていない。中に誰か居るのは確かだった。誰と話していたんだろう。そう思いながら私は湊の部屋の扉を開けた。中に居たのは愛沢くるみ。やっぱりと言うべきか、その存在に私はほんの少し呆れる。「……さっきの話、どういう意味なの?」私を視認した愛沢くるみは最初、私に対して怯えるような視線を投げて来ていた。けれど私がどういう意味かを聞いた事で、彼女にも理解が出来たのだろう。その瞳から怯えが消え、表情が滑り落ち、冷たく私を見る。「……知ってる?」愛沢くるみはそう言いながら少し笑う。「颯太も湊も、最初から……愛していたのは私だけなの」その瞳には私を突き刺す程の強く冷たい光が宿っている。(彼女の瞳に宿るのは……恨み、と……嫉妬……?)剥き出しの感情を私に隠さないで、そのまま見せるのはこれが初めてなんじゃないだろうか。「子供の頃からずっと、あなたは光みたいにみんなに愛されてたわよね……」愛沢くるみがそう言いながら湊のデスクの上に飾られている花を撫でる。「私は?」そう言ってキッと私を睨み、言う。「私はただの家政婦の娘。その存在を見て貰う資格すら、無かった……」愛沢くるみが花瓶から花を抜き出す。「それなのに……私が一番大切にしていた男まで、あなたに奪われるなん
真っ暗な中、一人立っている私……遠くの方で私を呼ぶ声がする。「久遠さーん……」誰なんだろう。女性の声だ。「燈(あかり)さーん」声が耳元でして目が覚める。視界には白い服を着た知らない女性が居る。「目が覚めましたか?」ニッコリと笑ってそう言ったのは、看護師さんだ。私は周囲を見回す。……ここは……病室だ。薬品の匂い、清掃されたばかりの清潔な部屋。良く知っているこの雰囲気。「気持ちが悪いとか、無いですか?」そう聞かれて私は自分の体の状態に意識を向ける。「えぇ、大丈夫です」そう言うと看護師さんが悲しく微笑む。「そうですか……良かったです」その笑みを私は知っている。(あぁ、そうか……)私は手を動かし、自分のお腹に触れる。それでも確証が欲しくて聞く。「あの、赤ちゃん……」ほんの少し、期待した。もしかしたら、そんな事が起こらないとは言えないからだ。目頭が熱くなっている。鼻の奥がツンとして来る。看護師さんが悲しそうに言う。「……残念ですが、助かりませんでした」涙が溢れて来る。……やっぱり、そんな思いに反してそれを受け入れたくない自分が居る。自分が妊娠したと分かった時のあの高揚感、そして自分の中から溢れ出して来る愛情。この世の何よりも愛しく大事にしなくてはいけないという使命感……日々、気を遣い、何事も無いように過ごして来たつもりだった。そして医師である私には分かっている。妊娠初期の流産は母親のせいではないという事を。&hellip
「久遠さん!しっかり!」ストレッチャーに載せられ、救急車へ運ばれる私は、腹部を襲う激しい痛みに、不安はますます募っていく。スマホの画面に付いた血の跡に構う余裕もなく、発信音を聞きながら、視界が少しずつ滲んでいく……足の間を伝わる生温い感覚、止めどなく流れているであろう体内から排出される血。それと対比して私の体温は下がって行く。救急車の中の医療スタッフの切迫した声が響く。プツ……電話が繋がった。「……用件は?」スマホから聞こえて来る冷たい声。夫の久遠湊の声だ。その声は落ち着き払っていて、私とは少しでも言葉を交わしたくないという感情がその声のトーンで読み取れる。「湊……大変なの……私、血が、出て……赤ちゃんが……」一瞬の静寂。答えが返って来ないその数秒は私にとって何よりも長く感じた。「血……? 赤ちゃん?」湊の声は“私が何を言っているのか全く分からない”といった雰囲気だ。そして大きな溜息が聞こえ、湊が冷たく言う。「同じ手口を何度使うつもりだ?」スマホの向こうからガヤガヤと声がしている。「俺は忙しいんだ、君も知っているだろう? 君の芝居に付き合っている暇は無いんだよ」私は涙を流しながら言う。「違うの……本当に……!」そこまで言って痛みが走る。言葉が切れてしまう。それでも伝えなくちゃいけないと思い、言う。「今、救急車で……運んで貰ってて……」その時だった。「湊さん、誰と話してるの?」スマホの向こうから女性の声がする。柔らかく甘えた口調、そしてその声の主を私は知っている。その声を聞いた瞬間、思わず息を呑み、心臓が強く跳ねる。柔らかく甘えた口調、そしてその声……まさか、彼女……?―——そんなはず、ない……「くるみ……何でも無いんだ。大丈夫」湊の言葉は重い一撃のように、私がずっと目を背けてきた予感を容赦なく裏づけた。――くるみ……やはり、彼女だった。我が家の家政婦の娘の名前。(湊は今、彼女と一緒に居る……どうして彼女と一緒に居るの?)「ねぇ、湊さん、一緒に検査結果を聞きに行ってくれない?」甘えるような声でそういう彼女に湊がふわっと笑うのがスマホ越しでも分かる。“何でも無いんだ”その一言を聞いただけでも分かる。私と話す時と彼女と話す時の声のトーンやその態度の違い。あんなに優しい声で話す湊は、私はもう何年も見ていない。(でも、







